1992年~ 両親を亡くした子の“親代わり”に親子二代に渡る25年のドラマ
一族で経営する会社の次期社長であった父親が、突然の他界。息子に跡を継がせるまでと、専業主婦の母親が会社に入ったが、その母もがんで早世してしまう。遺された3人の子どもの親代わりとなったのが、一人のライフプランナーだった。両親の遺志を引き継ぎ、進路や金銭管理のアドバイスをするなど、今なお家族との関係は続いている。プルデンシャルのテレビCMにも取り上げられた、親子二代25年に渡るストーリーである。
広島支社にてライフプランナーとして働いていた石井が、M様と知り合ったのは、ある税理士からの紹介だった。M様は一家5人の大黒柱で、二女一男の三児の父でもある。地元の広島市で機械部品を製造する中小企業の専務取締役をしており、社長はM様の実の父。いわゆる一族経営の企業で、ゆくゆくはM様が社長を継ぐことになっていた。
しかし1994年のある日のこと、M様が45歳という若さで他界する。専業主婦の奥様、中学3年の長女、中学2年の次女、そして小学6年の長男を遺しての突然の死であった。
石井は葬儀場で、M様のご家族と対面した。一家の大黒柱を失った家族の憔悴ぶりは、見ていられないほどだったという。とくに奥様の悲しみは深かったが、同時に「これから自分が子どもたちを守っていかねば」という強い意志も感じられた。
夫が遺してくれた3人の子どもたちとの生活、そして義父が経営し夫が継ぐはずだった会社のこと――。考えなくてはいけないことが山積している。奥様には、悲しみに暮れている暇さえも与えられなかった。そんな非常時に、奥様が頼ったのがライフプランナーの石井だった。
「私は結婚以来ずっと専業主婦で、家のことと育児しかしてきませんでした。社会のことも十分に分かっていないかもしれません。石井さん、いろいろ教えてくれませんか」。そう奥様から頼まれ、もちろん石井は親身になって相談に乗った。
手始めに、子どもたちの将来のため、生命保険に新たに加入することになった。いずれは長男に会社を継がせたいとは思っているが、いかんせんまだ小学生であり、ずっと先の話になるだろう。一時的なこととはいえ、一族以外の者に経営を任せることは避けられないと思っている。奥様からそうした経営ビジョンを伺って、石井は進言した。
「ご長男が社長に就任するために、会社の株を保有するには多額の資金が必要となるのは明らかです。保険金は多めに設定しておき、万が一の場合に備えましょう」。
石井の的確なアドバイスと真摯な態度に、奥様は信頼を深めていった。亡くなった夫の代わりに自ら会社経営に携わることを決断した奥様に、石井は専門学校への入学を勧める。経営のいろはを学び、簿記二級の資格を取得したのちに会社に入る、という青写真を打ち立てたのだ。奥様は奮起して勉強し、順調に資格を取得後、義父の会社に入社。ほどなくして経理担当専務に就任した。
生前、夫は「長男は跡継ぎだ」とよく口にしていた。その遺志を継ぐため、奥様は不慣れな会社勤めをことさらに頑張った。社長である義父が高齢を理由に経営の第一線を退いたのち、遠縁にあたる工場長が新社長に就任。しかし奥様は、新しい社長とも、創業者である義父とも良好な人間関係を築いた。仕事もしっかりこなし、やがて会社にとって、なくてはならない存在になっていった。
しかし、やはり経営についてはまだ素人の域を脱しない面もあり、折を見て石井へ悩みを打ち明けることもあった。生命保険のみならず幅広い知識を持つ石井は、奥様にとっても頼れる存在だったのだろう。
「石井さん、今日はこっち方面に来る予定はないの?」。奥様からはたびたび電話があった。お会いすると、子どもの進路のことや会社経営の悩み事をニコニコしながら話される。「相談なのかガス抜きなのか、よく分からなかったですが、誰かに話を聞いてほしかっただけなのかもしれませんね」と石井は当時を振り返る。
時には3人の子どもたちと一緒に食事をしたり、石井の家族ともども別荘に招待されて、大勢でバーベキューを楽しんだり。M様一家との良好な関係は続いていった。
ところが2000年のこと、奥様に乳がんが見つかるという衝撃的な一報が石井の元に届く。仕事も家庭も順調で、長女は一流国立大学を卒業後、大手製薬メーカーに勤務。次女は税理士を目指して資格取得の真っ最中。長男は地元の有名進学校に通っている。そんな矢先の出来事であった。
3年後の冬、石井の携帯電話がけたたましく鳴った。大学病院の放射線科を訪れていた奥様からで、すぐに駆け付けた石井は、その表情を見てすべてを察する。乳がんが脳に転移したという告知だった。
放射線治療や抗がん剤療法を始めた奥様であったが、その甲斐なく副作用でみるみる痩せ衰えていく。死を覚悟した奥様は、石井に子どもたちの未来を託した。2004年8月、「石井さん、子どもたちをお願いします」との遺言を残し、奥様は旅立たれた。
誰よりも行く末を案じていた長男は進学を諦め、両親が遺してくれた会社に入ることとなった。
また子どもたちには、奥様が加入していた生命保険の死亡保険金が支払われた。決して少なくない額である。しかし、お金はあっても使い方を知らなければ、まさに宝の持ち腐れとなってしまう。石井は、今こそ奥様の遺志を継ぐべき時だと感じた。
以来、石井は3人の親代わりとなり、お金の使い方などにも口を出すようになる。「保険金の管理についてはとくに厳しく進言しました。時にはうるさいことも言いましたが、このお金には奥様の想いが詰まっていると思うと、妥協はできません。我々の仕事は、保険金を支払えばそれで終わりではないのです。保険をかける方は、いろいろな想いを込めて家族にお金を遺される。契約者の“志”を伝えるのも、ライフプランナーの大事な役割なのです」。
もちろん、お金のことだけでなく進路などの相談にも乗り、親世代から子世代へと、M家との絆は続いていったのである。
現在、ご家族とのお付き合いは25年になる。長女は、結婚後も製薬メーカーで研究を続けており、次女は大学院で税理士資格を取得後、今は外資系コンサルタント会社に勤務。30代となった長男は、亡き両親の想いを継いで専務となっている。 石井は自らも大学院試験を受け、数年間通ったという経験から、次女の大学院進学を薦めた。その後次女が同じ院に入学してきて、一時は“先輩後輩”だったという二人。「でも、卒業は後輩の彼女の方が早かった」と石井は苦笑する。
そんな石井への信頼からか、自分の交際相手を紹介し、「いい人かどうか判断してもらっていた」という次女ものちに結婚。親族だけで取り行われた披露宴に石井も招待され、親族代表のスピーチまで頼まれた。
「たしかにご親族の方は皆ご高齢でしたが、まさか私に任されるとは」と、石井は驚いたという。しかし、長年、次女とより深く関わってきた人物として石井に結婚式の大切なスピーチをお願いすることは、次女にとって自然の流れだった。
「ライフプランナーとは、お客さまの人生に寄り添う仕事である」。そんなプルデンシャルの理念を体現するような本エピソードは、社内でも大きく取り上げられ、M家のご家族は初めてのテレビCMにも登場した。25年の長きにわたるお付き合い、それは今後も続いていくだろう。石井がライフプランナーである限り――。
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