1991年 1年目の新人の熱意が、会社を挙げたボランティアの輪に
毎年10月、全世界のプルデンシャルグループでは「インターナショナル・ボランティア・デー」と称して社会貢献活動に取り組んでいる。
プルデンシャル生命において、そんな社会貢献の文化が広く社員に受け入れられる土壌が育ちつつある日本での、創業4年目のエピソードを紹介する。
新人ライフプランナーの阿野が入社して所属した支社は、開設一年目の若い組織。スタッフ全員が仕事に燃え、日々忙しく動き回る活気に満ちていた。フルコミッションの報酬体系でありながら、共に励ましあって支社組織での結果も追い求める傍ら、仲間の出場するスポーツの試合に全員で応援に行くなどチームスピリットも醸成された支社だった。
入社後初めての期末を終え、阿野の成績は上々だった。社長杯コンテスト(社内の営業コンテスト)の入賞基準を達成。軽井沢で行われる社長杯コンベンション(社長杯の表彰式)への参加が決まり、モチベーションも高まっていた。
コンベンションを翌月に控えたある日。そんな阿野に、支社の管理職である支社長が「今度のコンベンションで、何かボランティアでもしてみないか」と声をかけた。ボランティアという予想もしない単語に、まだ入社8ヶ月目の新人の阿野は驚いた。新卒で入った前職の会社では、営業活動があまりに忙しく、会社でボランティアを話題にすることなど考えられなかったからだ。それがフルコミッションで一匹狼のように働くと思っていた会社でボランティアをやろう、とは。提案された阿野は、自分が幼少期からボーイスカウトに所属し、奉仕活動などにも熱心だったことを思い出した。しかし会社のコンベンションは初参加で、そもそもボランティアといっても何をすればよいのか全く見当がつかない。まずは軽井沢へ行き、活動させていただけるところを自分の足で探すことにした。
手始めに訪ねた軽井沢町役場から、障がい者施設と養護施設を紹介された。
「―― 特にボランティアの必要はありません」。障がい者施設では、あっさりと断られた。続いて向かった養護施設では、園長に会うことができた。今度は清掃や草むしりなど、ぜひ体を使ったボランティアをさせて欲しいと具体的な活動を挙げて申し出た。園長の答えは、阿野にとって意外なものだった。
「ここにいるのは、親のいない子や虐待を受けている子ばかりです。高校生から乳飲み子までいますが、子どもたちはみんなで身の回りのことは全てやっているので、特段お願いすることはありません」
しばらくの沈黙の後、園長はためらいがちにつぶやいた。
「―― こんなことを言ってよいのかわかりませんが、私たちは常に資金不足です。国からの支援では服も満足に買って上げられません。何とかお金の援助をしていただけないでしょうか」
あまりに直接的な申し出に、阿野は返答に詰まった。ボランティアといえば無償の労働で、金銭の授受ではないと思っていたからだ。しかし同時に、園長の要望を無視することはできないと感じていた。
「まもなくこの地で開催されるコンベンションは、笑顔との感動にあふれた催しで、自分は仲間たちと大いに楽しむだろう。でもその華やかな会場のすぐそばの古い木造の建物で、親と離れて暮らす子どもたちがいると思うと…」。阿野は、園長の要望に応えたいと強く心を突き動かされた。
東京へ戻った阿野の「コンベンション会場で募金活動をしたい」という訴えに支社長は大いに賛同し、準備などは社内のMDRTプルデンシャル生命分会に協力を依頼してみては、と勧められた。
MDRTとは、生命保険と金融サービスの専門家による国際的組織の資格基準である。優れた商品知識を持ち、厳しい倫理基準を満たした者だけが入会できるとされ、MDRT会員であることは保険業に携わる人間にとって名誉であり、誇りと言われている。その会員たちで組織されたMDRTプルデンシャル生命分会がきっと力になるだろうというのだ。
「MDRTには、私も初年度準会員として入会していました。正直、それまであまり会員としての主だった行動はしておらず、関心も薄かったのですが。しかし改めてMDRTの理念を読み返すと、“ホールパーソン(Whole Person)を目指す相互研鑽の場”とある。まさにこれだ!と思いました」と阿野は振り返る。
“ホールパーソン”とは「ビジネスマンとしての活躍のみならず、人生をより良く生きるために仕事以外の活動にも注力する。家族や健康、キャリアなどのすべてのバランスを維持する努力を続け、人として最大限の能力を発揮する人間であることを目指す」人格を意味する。このホールパーソンを志向するMDRT会員であれば必ず手伝ってくれるだろうと考えたのだ。
果たしてMDRTプルデンシャル生命分会に連絡を入れてみると、募金箱の手配などの準備はすべてやってくれるという。「一介の新人が上げた提案を軽んじることなく、共感してすぐに具体的な行動に移してくれる、しかも笑顔で。MDRTという組織の柔軟性と対応力には驚かされました」と阿野は当時を思い出して語る。
そしてコンベンション当日、さらに嬉しい驚きが阿野を待ちうけていた。会場に到着すると、すでにMDRTのメンバーが募金箱を囲んで入口に並び、募金活動を始めていたのだ。大きなアクリルの箱には、きれいな字で募金箱と書かれ、その文字の周りには色鉛筆で描かれた花の絵。手作り感に溢れ、温かみがあった。
仲間の熱意に応えるべく、阿野はウェルカムパーティで登壇し、400名を超える参加者の前で募金の主旨を伝えた。思いのこもった演説に、会場中から大きな拍手が沸き起こった。そのコンベンションで最も讃えられた最優秀ライフプランナーが、ステージ下まで握手に来てくれたとき、大きな手応えを感じた。
募金活動は連日、会場に入る通路で行われた。阿野とMDRT分会メンバーが横一列に並び、大きな声で募金を訴えた。4泊5日の会期を終え、コンベンションに参加した表彰者、スタッフなど総勢480名から集まった金額は合計126万円。翌月、阿野と当時のMDRT会長ら3人は募金を携え、養護施設へ向かった。
募金の使い道は、園長とともに考えた。服などの物を買ってあげてもすぐに古くなってしまう。そしてコンベンションはいつも軽井沢で行うわけではない。そこで子どもたちがずっと思い描いていた夢を叶えようという話になった。
その夢は「皆でディズニーランドに行くこと」。そして「初めて海を見ること」。
1991年7月31日、養護施設の子どもたちと職員計56名は東京ディズニーランドを訪れた。一泊し、翌日は子どもたち待望の海へ。山育ちで、生まれてから一度も海を見たことがない子も少なくなかった。何より子どもたちのほとんどは学園外での一泊旅行さえ初めてだった。
後日、ディズニーランドで撮影した写真と子どもたちからの手紙が届いた。『海の料理を食べた。お風呂が広かった』『ミッキーやドナルドのパレードが楽しかった』など、旅行の思い出をいきいきと綴った文章が踊っていた。
「私も軽井沢のコンベンションでは感動の連続でしたが、同じかそれ以上に子どもたちも感動してくれた。本当にやって良かったと思いました」子どもたちと職員の笑顔の写真眺めて阿野はこう振り返る。
“ホールパーソン”の理念と常に相手のことを考え、他者を思いやる“For You”の精神。――そのスピリットが息づくMDRTプルデンシャル生命分会の協力がなくては、この募金活動の成功はなかった。そしてその後MDRTプルデンシャル生命分会は飛躍的に発展し、日本一の会員数を誇る規模へとなり、プルデンシャル生命全体のボランティア文化の中心を担っていく組織になった。
同会は現在も、継続的な被災地支援、また様々なボランティア活動に、団体としてではなく、MDRT会員個人として参加している。まさに“ホールパーソン”を目指し続けるメンバーが集まるMDRTプルデンシャル生命分会の、黎明期のエピソードである。
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