2011年の取り組み

当社では、この度の東日本大震災で被害の大きかった地域の支社や仙台本社が被災いたしましたが、2011年3月末より、被災地の社員自身が被災地支援の先駆けとなって、ボランティアを実施しております。

避難所訪問

当社仙台支社では、2011年3月23日~4月12日までの期間のうち計11日間に、宮城県内(名取、岩沼、亘理、仙台、多賀城、塩釜、南三陸、東松島、石巻、気仙沼、女川)の避難所514カ所のうち、訪問可能であった248カ所を訪問しました。
訪問時には、当社ご契約者の安否確認に加え、避難されている皆さまに対して、生命保険協会や生命保険各社の連絡先に関する情報提供などを行いました。

地震後まもない時期であったので、二次災害に十分気をつけるよう出発前に全員で声を掛け合いました
自分達の水、食糧は最低限持って避難所にご迷惑をおかけしないように準備
避難所で配布した物の例
避難所の掲示板に「生命保険のお手続きに関するご案内」や「問合せ窓口一覧」を掲示
避難所の掲示板に「生命保険のお手続きに関するご案内」や「問合せ窓口一覧」を掲示

被災地でのボランティア(仙台本社発着)

当社仙台本社では、2011年5~11月の間、毎月2回のペースで、仙台本社発着のバスを全20便手配し、毎回約20名の社員および社員の家族が、被災地におけるボランティア活動に参加しました。
災害ボランティアセンターやJAと連携し、宮城県石巻市、岩沼市、亘理町、東松島市、南三陸町にて、津波によるヘドロのかき出し、ガレキの撤去作業、片付け等を行いました。仙台本社の社員に加え、全国からライフプランナーが参加しました。

大量の土のう(石巻市)
養鶏場のヘドロかき(岩沼市)
養鶏場のヘドロかき(岩沼市)
イチゴ集苗場のヘドロ掃除(亘理町)
イチゴ集苗場の掃除前と掃除後(亘理町)
イチゴ集苗場の掃除前と掃除後(亘理町)
イチゴ畑のビニールハウス内のヘドロかき(亘理町)
側溝のヘドロかき(東松島市)
側溝のヘドロかき(東松島市)

被災地でのボランティア(東京本社・全国支社発着)

当社では、上記仙台本社発着に加えて、2011年9~11月の間に、東京本社・首都圏以西の支社から1泊2日(車中泊)で被災地(行先:宮城県南三陸町、石巻市、七ヶ浜町など)を往復するバスを計29便運行し、のべ1,000人の社員と家族が、ヘドロのかき出しや、ガレキの撤去作業、漁業農業復興支援を行いました。南は九州から北は北海道まで、全国各地の社員が参加しました。
会社が、バス手配やボランティア保険の費用、ボランティアに必要な装備(踏抜防止長靴、防塵マスク、厚手のゴム手袋、強化手袋、雨カッパ)を負担し、参加を希望する社員は、バスの発着地までの交通費を自己負担して参加しています。

七ヶ浜にて(七ヶ浜災害ボランティア・センターにて)
石巻にて(牡蠣養殖の原盤つくり)
石巻にて(牡蠣養殖の原盤つくり)
七ヶ浜にて(作業後、松島の絶景を見渡す多聞山にて)
石巻にて(牡蠣養殖の原盤つくり)
石巻にて(牡蠣養殖の原盤つくり)
石巻にて(きゅうり畑で、海水をかぶった土壌の入替えのお手伝い)
石巻にて(小学校の側溝のヘドロかき、など)
石巻にて(小学校の側溝のヘドロかき、など)
石巻にて(休耕田の片付け)
亘理町にて(イチゴ畑のビニールハウス建てのお手伝い)
亘理町にて(イチゴ畑のビニールハウス建てのお手伝い)

参加した社員の声をご紹介します。

首都圏第五支社Y・K
(東松島市にて
活動)

気持ちがあってもなかなか行くことができませんでしたが、今回身一つで参加すればよいというプログラムを会社に準備してもらって、やっと行くことができて本当に満足しています。実際参加してみると、被害の大きさを肌で感じることができ、復興が気の遠くなるような大変な作業であることを実感しました。これからも、わずかであっても自分に出来ることを続けていこうと思います。

東京第五支社K・O
(七ヶ浜町にて活動)

参加してよかったと心から思いました。ボランティアとは、相手のためにお役に立つというイメージがあったのですが、逆に多くの大切な心の宝をいただきました。新潟からボランティアに来ていた高校生の生き生きした表情(5回目の参加という子もいました)、ボランティアセンターの方々の暖かさなど、ポカポカした雰囲気が私を包んでくれました。実際に現地を見ると、まだまだ長い寄り添いが必要と思いました。

首都圏第八支社M・M
(七ヶ浜町にて活動)

何かをしなければと思いながらも日常に流されて何もできずにいた中で、こういうきっかけをいただけたことに本当に感謝しています。ニュースや伝聞にどれだけ触れるよりも、現地に行くことによって、分かること、感じることがどれだけ多いのかということを痛感しました。転がったままの車、土を掘ると出てくる日用雑貨、どちらも衝撃的でした。当初450坪の跡地の片付けと聞き、どれだけ大きなエリアかと思いましたが現場に行ってみると海岸線のほんの一角に過ぎず、100人を超える人間が一日一生懸命作業したのに、どれだけ進んだのか疑問です。しかし、今後も多くの人間が関わる中で問題は少しずつ解決されていくのだろうと思います。少しずつでも前に進むことの大切さを感じずにはいられませんでした。

上野支社J・K
(七ヶ浜町にて活動)

一日やってどれだけ進んだのだろう、という思いがあります。被災された方々の家を全部きれいにするには、いったい何年の年月が必要なんだろう、と思いました。しかし、わずかな一歩でも前に進めた充実感を感じ、誰かのためになっている自分がうれしくも思えました。リーダーをされた地元の方が最後に、「今日はありがとう。帰りに展望台に寄って、美しいこの地の風景を見て行ってほしい」とおっしゃったとき、目頭が熱くなりました。自然の脅威をうけとめながら、たくましくふるさとを復興させたいと願う地元の方たちの思いを感じました。

本社R・J
(石巻市にて活動)

学校や家屋、建物が破壊されているのを見ると、絶望的な気持ちになりますが、そんな中で、別の土地からやってきた人たちが「作業をして助けたい」という想いを行動として表し、それを地元の皆さまに少しでも感じてもらえたならと思います。会社のよい仲間たちと一緒に活動できたことは、とてもありがたいことでした。

福井支社M・K
(石巻市にて活動)

ボランティアに参加させていただき、心からよかったと思っております。石巻市の小学校の体育館周りの花壇や庭や側溝の泥かきをしましたが、参加者全員声を掛け合い、徐々に効率よく進められるようになり、最終的には汗だくの疲労感とすがすがしい達成感を味わうことができました。「この池のオニヤンマの産卵を子ども達にみせてあげたいんですよね」と校長先生が目を細めてうれしそうに話されていたのが、心に残っています。

東京第九支社M・N
(七ヶ浜町にて活動)

七ヶ浜での個人宅での土砂出しでしたが、その家の家主で被災されたお祖母さまがお孫さんと現場に来ていて、お孫さんに「やっとこれできれいになるね」と言っておられたのが印象に残っています。たとえ再び住む土地でなくても、ずっと気にされていたことなのだなと感じ、その解決に力を貸せたことはよかったと思いました。「求められれば助けに来てくれる人がいる」と感じてもらうことにも意味があると感じました。

さいたま支社M・A
(南三陸町にて活動)

南三陸町の海岸の街に、避難を呼びかける女性が勤務していた町役場のビルの鉄骨を見たときには涙があふれました。まだまだ復興が全く進んでいない現状に心が痛みました。牡蠣の養殖の復活に微力ではありますがご協力できてよかったですが、これもまだまだこれからです。帰るときに、漁師の奥さま方からお礼のお言葉をいただいたときにも涙してしまいました。

福山支社N・H
(七ヶ浜町にて活動)

作業中に発見したプラスチック板が、私の8歳になる息子が手作り教室で作ってきたものだと同じだと確信したとき、胸が締め付けられる思いでした。この想いを持ち帰り、平凡な日々にある家族のありがたさを感じたいと思います。非常に価値ある経験をさせていただきました。

大阪中央支社T・I
(七ヶ浜町にて活動)

大阪発着のバスを出してもらい、関西の有志33名が集い、七ヶ浜で主にガレキ除去を実施してきました。微力ではありましたが、お手伝いをした家の家主さん・現地のボランティア・リーダーの方・我々参加者皆が思いを一つに出来、かけがえのない時間を共有できたと思います。

千代田支社N・Y
(亘理町にて活動)

声も出ないほど生々しい惨状でした。テレビで見ることと現地に赴くことがこれほど違うとは思いませんでした。お手伝いさせていただいたイチゴ農家の方々も、時折笑顔を見せていただきましたが、我々には想像もつかないお気持ちを抱えておられることと思いました。一方で、とても暑い中、黙々と作業を手伝っている同僚を見ていると、頼もしくもあり、誇らしい気持ちにもなりました。暑過ぎて途中でめげそうになりましたが、皆の姿を見て「がんばろう」と自分を鼓舞してなんとか最後までやり遂げることができました。微力ながらも、これからもできることを長く続けていきたいと思います。

立川支社K・H
(亘理町にて活動)

一瞬にしてイチゴつくりの土台全てを失ってしまわれたにもかかわらず、また一からスタートを切られたことに敬意を表するとともに、一日も早い復興をお祈りします。希望を持って続けていっていただきたいと願うばかりです。わずか一日のお手伝いですので、それほどお役に立てたとは思えませんが、逆に我々が「あきらめないこと」の大切さを教えていただいた気がします。