いつでも本気で人と向き合いたい
- 前職
- 国会議員秘書
小倉 崇志
- 宇都宮支社 エグゼクティブ・ライフプランナー
- 米・Central Washington大学 International Marketing学部卒
- 好きな言葉
- がんばっても、がんばらなくても、変わらない人生ではがんばれない。
「生き抜く力をつける」ために海外へ留学。そして、政治の世界へ
自分の底力を試したい。もまれる環境に飛び込んで、成長したい。私が高校卒業後に単身渡米したのは、そんな想いがあったからでした。英語が得意なわけでも、知り合いがいたわけでもありません。日本で推薦された大学に入り、みんなと同じように就職活動をして、企業に勤める……そんな自分の姿がイメージできなかったのです。当時、漠然と興味を抱いていたのは政治の世界。誰かに雇われる人生は、自分には合わないと思っていました。とはいえ明確なビジョンがあったわけではありません。何かに出会った瞬間に感じる“直感”を頼りに、進む道を決めていました。
現地の大学を卒業して進路を模索していたころ、たまたまシアトルの大手コーヒーチェーンでスタッフ募集の張り紙が目に止まり、思い切って飛び込んでみることに。無我夢中で仕事に取り組むうち、アルバイトから正社員へ、さらには店長へと抜擢されました。そして数年の後、そろそろ日本に帰国しようと思ったタイミングで、ある国会議員が秘書を探していることを知ったのです。新たなチャンスを手にして、私はいよいよ政治の世界に足を踏み入れることになりました。
ライフプランナーに出会い、
限りなく自由な働き方に惹かれた
国会議員秘書の仕事は、非常に泥くさく地道な「営業」そのものです。代議士の一票を稼ぐために、地元の人たちとの信頼関係を愚直に築いていく。それが、私に課されたミッションでした。この貴重な経験を糧にして、次のステップをどう踏み出すか――。そう考え始めたときに偶然出会ったのが、プルデンシャル生命で活躍していた、とあるすご腕ライフプランナーでした。私は彼に会って話を聞くうちに、その生き方と働き方に強く惹かれていったのです。
成果を出した分だけ、収入も上がっていくこと。そのためにどう時間を使うか、自分自身でコントロールできること。商談する相手も、そのための戦略も、すべて自分の裁量で決められること。彼を通して見えるライフプランナーという仕事は、自由とやりがいに満ちていました。そして何よりも、彼が心から仕事を楽しんでいることが伝わってきて、「雇われて働いている」ことの窮屈さをみじんも感じなかったのです。私は次第に、ライフプランナーなら議員秘書として積み重ねてきた経験を活かせるだけでなく、年齢・性別・職業を超えて幅広い人たちと交流ができると思うようになりました。そして、自分の世界をさらに広げていきたいという願いを胸に、新たな一歩を踏み出したのです。
人とのつながりが何よりの財産。
お客さまの役に立てることがうれしい
ライフプランナーになって、はや10年。入社当初はフルコミッションという働き方に喜びを感じ、時間やお金を基準にして仕事をとらえていました。しかし、その考え方は少しずつ変化してきました。今、私にとって何よりの財産は、この仕事を通じて築いた大勢の方々とのつながりです。キャリアを重ねるほどネットワークも広がり、“生命保険をご提案する”以外の部分でもお役に立てるケースが増えてきました。お客さまが私のことを「保険のこともあるけど、絶対にプラスになるから会った方がいいよ」と、別の方に勧めてくださるのが本当にうれしくて。それこそがライフプランナーの醍醐味であり、自分にとってのやりがいになっていますね。
2016年にはエグゼクティブ・ライプランナーに認定され、「後輩たちにどんな姿を見せていけばいいか?」と、若手の目を意識することも増えました。よく「小倉さんのモチベーションの源は?」と聞かれますが、「この仕事が楽しいから」の一言に尽きます。ライフプランナーの面白さを知っているからこそ、私は今日も全力でこの仕事と向き合っている。それがすべてで、何より幸せなことだと感じています。
今回お話を伺ったのは、小倉さんの高校時代の恩師であり、大切なお客さまの一人でもある黒川澄夫先生。現在も変わらず小倉さんのことを応援し、温かく見守ってくださっています。十代のころから彼を知る黒川先生の目に、現在の小倉さんはどのように映っているのでしょうか。
- 高等学校教諭を定年退職後、現在は非常勤の高校講師を務める(取材当時)
親身になってくれるから、大切な人を紹介できる
- 小倉
- 高校を卒業した後、久しぶりに先生と再会したのは私が国会議員の秘書をしていたころですよね。
- 黒川
- そうだね。高校時代から政治に興味があるのを知っていたから、陰ながら期待していたんだ。だから、ライフプランナーに転身したと聞いたときは驚いたな。でも君が決めた道だから、変わらず応援しようと思ったんだよ。
- 小倉
- 先生とのつながりをきっかけに、先生のご家族やご友人、教え子の皆さんなど、多くの方が私のお客さまになってくださって。感謝の気持ちでいっぱいです。
- 黒川
- 私から見て小倉君は“保険を販売する人”というよりも、“相手が必要としていることをくみ取って、親身に相談に乗ることのできる人”。長い付き合いの中でそれが分かっているから、安心して大切な人たちを紹介できるんだ。小倉君の周りでどんどん人の輪が広がっていくのは、みんなが君を信頼しているからこそだよ。
- 小倉
- 先生の教え子の方をご紹介していただいた後、そのお嬢さんが海外留学を検討されていると聞いて相談に乗ったこともありましたよね。最終的には、そのお嬢さんとお父さまをシアトルにお連れして、現地の学校をご案内したりして。いつか彼女が大人になったら、また別の形でお役に立てるかもしれない。先生をきっかけに、そんなつながりが無数に生まれているんです。
高校時代から「将来活躍できる人」だと思っていた
- 黒川
- 高校時代の小倉君は、とにかく元気で明るい生徒という印象だったな。クラスのリーダー的存在で、当時からいろいろなことに積極的だった。
- 小倉
- 自分から率先してやんちゃなことをしていたのは間違いないですね(笑)。文化祭では展示作品の制作を口実にして、仲間たちと夜遅くに学校に忍び込んで作業していたことを覚えています。
- 黒川
- その一方で、とてもまじめで仲間思いの一面もあった。誰に対しても親切だったよね。3年生になるときに小倉君だけクラスが変わってしまったけれど、友人たちとの交流はずっと続けていたよな。
- 小倉
- そう、成績がワンランク上の進学クラスに、先生が推薦してくださったんですよね。正直なところ、その当時は「なんで僕だけ?」という戸惑いもありましたけど。
- 黒川
- 「この子はもっとできるはず」と思っていたんだよ。私は教師として何千人もの生徒を見てきたからね、その子と話していると、将来どんな道を切り拓いていくかを感じ取れるんだ。あのころから小倉君は光っていたから、実際に今、こうして活躍している姿を見るとうれしいよ。
自分の意志を貫いて、これからも変わらぬ活躍を
- 小倉
- 高校3年生になって進路を決めるとき、私はせっかくの推薦をお断りして海外渡航することを決めました。英語の成績がまるで良くなかったのにそんなことを言い出したので、3年のときの担任の先生には猛反対されて。でも黒川先生は、私の意志を尊重してくれましたよね。
- 黒川
- そもそも、国内の大学に進学するだけがすべてではないからね。それが自分で選んだ道ならば、諸手を挙げて送り出したいと思ったんだよ。アメリカでさまざまな経験を積んで、一回りも二回りも大きくなって帰ってきてくれると信じていたから。
- 小倉
- 先生がそうして応援してくださっていることが、何よりも心強いです。
- 黒川
- 今の小倉君も、そしてこれからの小倉君も、変わらず見守っていくよ。
小倉さんは、10歳の女の子、7歳の双子の男の子、そして6歳の女の子という4人のお子さんを持つ“イクメン”でもあります。そして国会議員秘書時代からずっと家族を支えてくれているのが、奥さまの優子さん。小倉さんがライフプランナーに転身してからどのように生活が変わったのか、ご家庭ではどんなパパなのか、奥さまに伺いました。
- 奥さま
夫の大きな転身にも、戸惑いはなかった
- 奥さま
- 私たちが結婚したのはあなたが議員秘書をしていたときだったけど、突然ライフプランナーに転身すると聞いたときも、別に戸惑いはなかったかな。むしろ、いい会社を選んでくれたことがうれしくて。何となく「この環境に身を置けば、この人はますます磨かれるだろう」と感じたのを覚えてる。
- 小倉
- うん、どの仕事をしていても、「自分の信じる道を全力で突き進む」というスタンスは変わっていなかったからね。でもライフプランナーになって、まず経済的なゆとりができたのは大きかったな。だからこそ、子どもを4人育てることができるようになったわけだから。それに、入社当初こそバリバリ働いていたけれど、子どもが生まれてからは、家族と過ごす時間もしっかり取れるようになったからね。
- 奥さま
- 確かに最初の数年は忙しそうだったね。普段、家ではあまり仕事の話はしないけど、あなたが心から楽しんでライフプランナーの仕事をしていることは伝わっていたよ。
- 小倉
- それは今でも変わらないところかな。これからも、子どもたちの成長に合わせる形で働き方を見直していきたいと思っているよ。ライフプランナーなら、それが可能だから。
4人の子どもたちにも、常に本気で接する
- 奥さま
- 子どもたちに接するとき、何をするにしても100%本気だよね。家族で出かけたときに「よし、今から日光に行こう!」と突然アイディアを思いついたり、川にザリガニを探しに行く計画を立てたり、自ら率先してサプライズを生み出している。近所の公園でちょっと遊ぶようなときでも、いつもそれは変わらない。
- 小倉
- みんなで走ったり、大縄跳びをしたり、気がつくといつも本気で遊びに没頭しているね。子ども4人と私の対抗でかけっこをするときは、こっちも手加減しないからつい勝ってしまうことがあって(笑)。
- 奥さま
- そんなときは大体、子どもたちも本気で悔しがって泣き出すよね。そんな些細なことも含めて、あなたも私も、常に「その場をどう楽しくするか?」という発想で生活しているような気がするな。だから休日はいつも楽しくて、笑いが絶えない。そうそう、基本的に家事は私の役割だけど、手が足りないときはいつもサポートしてくれるから助かっているよ。
夫婦共通の交友関係が広がり、楽しみが倍増した
- 小倉
- うちは家族全員でイベントに参加することも好きだよね。親子マラソン大会や運動会など、地域の行事にもよく顔を出している。
- 奥さま
- それに、会社の行事もそう。同僚の皆さんを招いてこの庭でBBQをしたり、社員旅行に出かけたり。子どもたちもパパの会社の行事が大好きで、毎回楽しみにしているよね。プルデンシャル生命は、社員の家族をとても大事にしてくれる会社だと常々感じてる。
- 小倉
- 来年は、下の子がいよいよ小学生。そうすると、うちの子どもは4人とも、プルデンシャル生命からランドセルをいただくことになるね。(※)
- 奥さま
- 議員秘書のころは仕事と生活が分離していたから、こんなふうに仕事関係の方たちと親しくなることはほとんどなかったよね。でも今は、会社の皆さんやお客さまと家族ぐるみでお付き合いすることが増えて、2人の交友範囲が重なるようになった。お互いが「楽しい!」と感じる時間を共有できるようになって、家族の時間がよりいっそう愛おしく思えるようになったかな。
- ※ランドセル贈呈制度:1989年に始まった社内制度の一つ。毎年、小学生になる社員の子どもたちに、会社からランドセルを贈呈している。
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ライフプランナーへの第一歩。それがキャリア・インフォメーション・プログラムです。このプログラムは単なる会社紹介ではなく、ユニークな制度・独創的なニードセールス等を実際的なシミュレーションを通して理解して頂くものです。
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